「結果の最果て。」

愛し方は人それぞれだと思う。

見方も人それぞれだと思う。

気付いたことは

自分の愛し方は鳥篭のようなものだったってこと。

ひとつの籠の中より広い空の下が好まれるのはわかっていた。

でも留まっていて欲しかった。

一つの場所でいつまでも

変わらず愛したままの形であって欲しかった。

それは愛とは違う。ワガママだ。

そう言われるだろうと思う。

でもそれが愛の形だった。

籠を開けた時、自分の知らないところへ飛んでいかれたら

きっと戻っては来ないと思う。そんな不安しかなかった。

でも戻ってこなくなるような

そんな形を作ったのも自分だということ。

なにより

自分自身が籠であり、

自分から離れて行って欲しくなかっただけだ。

そう思っていた。

でも

ひょっとしたらそうではなかったのかも知れない。

もしかしたら

一つの檻の中に居たのは自分自身なのかもしれない。

今は同じ檻の中に居て欲しかったんだと思う。

外の広い空の下に出て行くことの出来ない

自分のそばに居て欲しかった。

ただそれだけ。

結局はワガママなんだけど

それでもそれが自分の愛の形なんだと思う。

それは変わらないだろう。

いままでいくつかの詩を綴ってきた。

それらは

今思えばすべて小さな小さな

自分の檻の中だけの狭苦しい物語だった。

そこに一緒にいて欲しかった。

飛び立った鳥は戻ってこない。

それが一番の不安。

また一人、孤独の檻に戻るのが怖かった。

ぺアリングだって

繋がっていたいだけの手錠だったのかも。

結局、

束縛することでしか繋ぎ止めることのできない人間だったのだ。

もう飛び去った鳥は帰ってこない。

でも変わりの鳥を探す気もない。

いままでが幸せすぎた。

もう、この場所には誰も来ないだろう。

今はそんな覚悟と絶望だけが支配している。

愛って言葉は

自分には存在していなかったのかもしれない。

でも確かに愛した。

そう思えば幸せになれるだろうか